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平成維新伝心新聞 第1号(平成22年2月26日)

                          平成維新伝心新聞PDFは、こちら

平成維新伝心プロジェクト世話人会発行
第1号平成22年2月26日

平成維新伝心新聞

平成維新伝心「同人」の皆様,その後いかがでしょう。第1回のセミナーの後第2回セミナーを1月に開く予定をし
ていましたが,準備が整いませんでした。そこで,今回,それに代わって,こんな文章をしたためました。何かのご参
考になればと思います。折に触れて,皆様にはお便りを差し上げたいと思っています。

平成維新伝心プロジェクト世話人
津本陽『無量の光親鸞聖人の生涯』(上・下)講談社,2009 年12 月刊,を読む
松村勝弘



平成維新伝心プロジェクト,昨年11月7日に第1回セミナーを開いて,さて第2回を開こうという話になったけれど,なかなか準備が整わない。で,今回は文書を配布して第2回セミナーに代えようということになりました。書評のようなものを書いてお配りしようということになりました。私が最近読んだ本についての書評というか読後感というかそういうのを書いたのですが,書いてみて,ちょっと難しすぎたと思い,まずはこれの解題をしないと読めないと思った次第です。何で自力と他力に関心を持ったかを言っておかないと,さっぱりわからない。そう思い,これをまた書いている次第です。最近の「自己責任」論のことご存じでしょうか。最近の風潮。それはまことに人に厳しいものだと思います。力のある人,がんばった人はえらい。そういう人が恵まれるのは当たり前という風潮です。その裏返しとして,恵まれない人,貧しい人は,能力のない人,がんばっていない人だという烙印が押されがちです。でも,若い人たちで,環境や時代にも恵まれず,自分から進んでそうなったわけでもないのに,貧しく暮らしている人が結構増えているように思います。チャンスに恵まれなかったが為に貧しい人に向けられる目が厳しいのが現実です。アメリカはまさにそんな社会ですが,日本はそうではなかったはずです。ところが最近,日本でも貧しい人は,能力がない,努力が足りないからだという風潮が蔓延しています。もちろん努力不足の人もいるでしょうが,そうでない人たちに応援歌を贈りたい。そういう思いでこの親鸞に関連した文章,書評を書きました。世の中思うようにいかないものです。そんな中,謙虚に自らを律して,いずれ晴れる日も来ると,着実に努力している人への応援歌だと受け止めて,この書評を読んでもらいたいと思います。

結構大部の小説である。上巻329頁,下巻317頁,あわせて600頁を超える。面白くて,この正月一気に読んでしまった。教えられるところ大であった。この本は,親鸞聖人七百五十回大遠忌を明後年に控えた今,本書が刊行されることはまことによろこばしい,とその序文で,著者津本陽氏と幼稚園・小学校以来の竹馬の友である薗田香融関西大学名誉教授が書かれている。そういう位置づけを与えることもできるようだ。また帯にその概要などが書いてある。上巻帯には「自らも熱心な門徒である著者が末法の現世に問う,生きる力とは何か」とされ,下巻帯には「親鸞聖人の苦難に満ちた一生と,今に伝わるその教えの全貌を描く」と書かれている。伝記的な部分と親鸞聖人の教えにわたる部分とを含んでいる。
私は別に門徒でも何でもないが,日本人の心を考え直そうという最近の関心から,読み始めた。私の一番の関心事はいわゆる他力と自力の問題である。山折哲雄『親鸞を読む』岩波新書,2007年は,近代人あるいは人間が陥りやすい穽(陥穽)を論じ,明治の近代人清沢満之も苦悩してややもすれば,「善人正機」に傾き,自力的妄念にからめとられているかにみえるとする。だが親鸞は「悪人正機」,「他力本願」を主張しているという(第4章弟子の目に映った親鸞-唯円と清沢満之-)。「善人正機」は近代人清沢に限らないのであって,親鸞の教えを聞き書きした「歎異抄」を著した唯円も「善人正機」に傾きがちであるし(第4章),親鸞の妻恵信尼にすら「自力執心」がみられるとする(第7章恵信尼にきく)。この延長線上で本書に関心を持った。
著者は作中親鸞に次のように語らせている(上,284~5頁)。

「念仏には真の念仏と仮の念仏があるぞ。
弥陀如来をひたすら頼み参らせる,他力回向の念仏は正信念仏と申し,真の念仏じゃ。
仮の念仏とは,己の力で念仏を称えていると思うことだ。……
賢しい(賢いがずるく,思い上がりがある),つまりは,我が身かわいさの傲慢な念仏だ。
このような凡夫(罪深い者たち)の手垢にまみれた念仏は,仏には届かない。
まことの専修とは,自分の力の虚しさを悟って,ひたすら仏の他力に頼る念仏のことだ。」
だから,さらに進んで,次のような所にむかう(下,241頁)。
「世界のどんな宗教でも,現世祈祷をおこなっているが,親鸞はそれを徹底的に否定した。そのため浄土真宗にまったく現世祈祷はない。
神仏の前で,自分の願望を告げるのは祈祷ではない。
祈ることによって利益が与えられるのを期待することを祈祷という。
これは神仏と自分の取引であり,これに応じる神仏は実際には存在しないもので,人間の欲望がえがきだした夢想にすぎない。」
「自力」の偽善性,虚偽性を暴き出す。これに関わって,さらに興味深かったところを紹介しよう(下,233~4頁)。
「『外に賢善精進の相を現すことを得ざれ。内に虚偽を懐けばなり』
人は賢善精進の相をあらわすことができない。
人間は心中に虚偽を抱かねば暮らしていけない生き物ではないかという,人間の実態をついたのである。」
だからこういう(下,289頁)。「賢者は内に賢明な心をやどし,外見は愚か者のようである。私は愚か者でありながら,外見は賢者をよそおっている」。親鸞はまことに謙虚である。
自力主義の傲慢を捨て,他力本願の謙虚さが必要なことを改めて教えられた。


経済安寧の女帝?!
未曾有の不況と言われる今だが、スイ―ツの有名店には毎日、長だの列ができ、うれしい悲鳴を上げている。そんな中で、阪急百貨店はデパ地下といわれる食料品売り場を一階にも設け、熱い視線をおくる。その先は女性である。
「古代の日本の歴史は、卑弥呼と台与の二人の女帝から始まり6 世紀末から8 世紀にかけて、8代女帝が出現している。女帝は、混迷の時期を安寧に納めて登場する。そして、このような例は世界でも稀である。」(関裕二著「『女帝』誕生の謎」[2008]講談社出版)。又、同書には、「律令時代の女性の財産所有のあり方に注目して、われわれの想像を超えた女性の地位の高さと、血縁基本ラインが父系・母系に偏らず、男女の地位が対等に近かったことが分かってきている。」と記述している。
そして、「ヤマト建国は征服戦ではなく、前方後円墳をヤマト王と同じ企画で築くことにより、宗教儀礼を行うことにより百余国(前漢書地理誌)あった集落の首長と同盟関係を結んでいた。」姓名は「行政組織」として、氏姓制度から始まったが、現在は30 万種類もある。
それに比べ韓国は300 という。偶然にも、日本という国土が大陸と海を隔てた位置環境にあり、そのことが多様性の存続をゆるしてくれたのかもしれない。
今、消費にも価値観の多様性が重要視される。混迷を極める経済戦国時代に世の中を安寧に収めてくれる「女帝」の出現を切に願うものである。
S.N.


今後の主な行事予定


日時:3 月27 日14時~16時(受付開始13:30)
場所:大阪市中央公会堂第4会議室
内容:「起業と企業マインド」~元気企業あさひの事例をふまえて~
講師:下田幸男・松村勝弘

平成維新伝心プロジェクト窓口
大阪市北区梅田1-11-4-1100 大阪駅前第4 ビル
ストアオペレーションサービス株式会社内
URL: http://heiseiishindenshin.blog93.fc2.com/
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